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Enfant Jésus Baroque

Aug 14, 2025
4 min read

Updated: 2 days ago

Origine : France

Époque : 17ème siècles

Hauteur : 33,5 cm

Hauteur du Jésus : 25 cm

Prix : à venir



17世紀(バロック初期)に制作された本作はオーク材の幼子イエス像と菱形の大理石台座で構成されています。もともと単体で構想されたものではなく、聖母マリアに抱かれた教会用彫刻の一部として制作されたものです。左頬や下半身に他像と密着するための明確な形状が見られる点は、本作が大規模な群像の一翼を担っていたことを示しています。


造形面では頬や腹部に見られるふくよかな量感が大きな特徴です。これは17世紀バロック期の宗教彫刻に共通する身体表現で、当時は幼子の丸みのある姿が単なる写実や愛らしさではなく、生命力や神の祝福、神性そのものを表すものとして捉えられていました。手足を失った現在の姿ではその全容を見ることはできませんが、残された身体の量感だけでもバロック特有の躍動感を感じさせます。


当時のフランスではカトリックが支配的で事実上の国教とされていましたが、王権の強化にともない教会の影響力は相対的に低下していきました。そうしたなかルイ13世の治世下ではガリカニスムの思想を背景に宗教芸術が盛んに展開され、多くの作品が制作されました。こうした宗教彫刻は人々の信仰を深めるとともに教会の権威を象徴する存在でもありました。このイエス像もそのような宗教芸術の一環として制作されたものです。


1789年に始まったフランス革命の過程では多くの教会や修道院が破壊(イコノクラスム)や略奪、あるいは接収の対象となりました。革命期に展開された脱キリスト教化運動は単なる民衆の暴動に留まらず、教会を旧体制(アンシャン・レジーム)の象徴とみなした国家主導の政策として進められ徹底した破壊へと至ります。こうした状況下で祭壇彫刻や群像は分断され一部分のみが散逸して残る例も少なくありませんでした。本像とともに群像を構成していた聖母マリア像や聖ヨセフ像は革命期の破壊によって失われた一方、この幼子イエス像は群像から切り離されたことで全壊を免れ現在まで残りました。


左頬に残る破断面はかつて聖母像と密着していた接合部が強制的に引き剥がされた際に生じた圧壊痕です。顔面には鼻や上唇にかけて造形そのものが激しく押し潰された損傷が残されており、背面にも無数の鋭利な打撃痕や傷跡が広範囲に残されています。手足の破断面には木の繊維が荒々しく露出し、滑らかに彫り上げられた身体の曲面との対比を際立たせています。これらは偶発的な落下では説明できない意図的な破壊の痕跡です。破壊された断面や背面の傷は数百年の歳月をかけて周囲の木肌と等しくパティナを纏い、後世の損傷とは異なる長い時間の経過を示しています。


フランス革命期の恐怖政治のなかで宗教的象徴はアンシャン・レジームの名残として厳しく排除されました。宗教的物品の所有や保管も取り締まりの対象となり、革命政府の宗教政策に従うことを拒んだ聖職者たちは逮捕・投獄・処刑の対象となりました。宗教関係者や信仰を守る者への弾圧が続くなか、本像も群像から切り離されたあと何者かの手によって拾い上げられ保管された経緯が示唆されます。誰がどのようにしてこの像を守ったのか詳細な来歴は残されていません。しかし時代を越えて本像が現存する事実は当時この像を失わせまいとした誰かの存在を想起させます。


制作から数世紀もの時を経た歴史と信仰を残すこのイエス像はオリジナルの状態から大きく変化していますが、その痕跡が歴史的価値を損なうことなく神聖さを保ち続けています。全体的に角が取れ丸みを帯びた姿には祈りを捧げる人々の手に幾度も触れられてきた長い歳月が刻まれています。


単に古いものが残ったという話ではなく、この像を守ろうと決めた人がいた。その意思が現在もこの像に宿っています。




フランス革命を描いた歴史画




 
 
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